
4月21日の夕方、事務所に戻ると、後輩医師のFさんが「先生、網地島に行ってきました !」と手を振って迎えてくれました。以下、本人の許可を得て掲載します。
現在、市立病院で新型コロナ診療を担当している彼女は、医学部4年生の夏を、閉校になった網地島の小学校を改装した診療所「網小医院」で過ごしたと言います。震災後、 私を慕って長野県から石巻に来たときも、そのエメラルドグリーンの海が常にまぶたの裏にあり、夏にはほぼ毎年海水浴に訪れていたのだとか。
しかしコロナ禍で観光はもとより、昨年の緊急事態宣言発令中は診療所への仙台や県外からの医師の応援もストップ し、住民は不安な日々を過ごしていたとのこと。Fさんはかつて世話になった島の人たちに何かできることはないかと、自身のワクチン接種が完了するのを待って、この日、 網小医院を訪ねました。

県内全域で感染が急拡大し、離島でもいつ発生しても不思議でない現状で、島からの患者の搬送はどうするのか、常勤医のいない島で、体調が悪いときの検査や、安全なワクチン接種が可能なのかどうか、喫緊の課題が山積しています。
島の南北に位置する長渡浜、網地浜とも空き家が目立ち、人や車もまばらで、昼間は中央にある診療所とデイサ ービスセンターがもっとも賑わっているという、市内屈指の高齢化率の高い地域ですが 、医師が常駐していません。そのため、体調を崩して市立病院などに入院し、島へ帰りたいと泣きながら、市街の家族に引き取られたり施設入所となったりするケースも後をたちません。

出陣式でも話したように、私は10年前の3月11日、地震が起きた時に、30年前には100あった世帯数が15まで減り80歳以上の方しかいない長野の山の中の集落を往診していました。その村で、「誰もが最後まで住み慣れた家で暮らせるお手伝い」に取り組み、「日本一、家で最後を迎えられる仕組み」を作りました。
石巻では震災で多くの方がたくさんのものを失い、ふるさとを失いましたが、あの災害を乗り越えて、今も愛するふるさとの島を守り続けている方たちには、ぜひ最後まで安心して過ごしていただきたい。
そのためにまずは、ICTを活用して島と市立病院を結びオンライン診療を可能にします。そして、かつて私が開成仮診療所で実践していたように、生まれかわった市立病院を中心に、東北大学 、東北医科薬科大学と連携して総合診療医を確保・育成します。志ある若い医師を中心に島での常駐をめざしつつ、牡鹿病院の機能強化、島の診療所との連携強化を行い、24時間365日、網地島、田代島を含む市内どこでも、住み慣れた自宅、地域で最後を迎えられる体制を整えます。
ただし今、急ぐべきは新型コロナ対策。東北大学で感染症を専攻していたF医師は、エボラウイルス病などの県内発生に備えた訓練、また石巻に着任後は、新型コロナの流行以前に、保健所と合同の新型インフルエンザ対策訓練に参加した経験をもちます。ともに保健所長に呼びかけ、離島での患者発生時のシミュレーションを早急に実施します。
そして、新型コロナを日々診療しているF医師、小坂健東北大教授、沖縄県の離島のコロナ体躯を行う高山義浩医師などの、親友であり超一流の専門家との繋がり・知見を活用して、日本一のコロナ対策を実現し、まずはワクチンをいち早く、網地島、田代島に届けます。 4月23日、きょうも気持ちのよい朝を迎えました。 穏やかな波に乗って、Fさんと私の想いが島に届きますように。