女川原発再稼働反対!いのちの問題石巻市長選挙出陣式演説文字起こし④

<女川原発再稼働反対!いのちの問題>
もう一つ、先程福島県南相馬市の桜井前市長からお話がありました。私も震災直後、南相馬に伺い、桜井市長(当時)のご案内で南相馬の現状を拝見し、また石巻の地域包括ケアの取り組みを紹介させていただきました。女川原発再稼働の問題、私はこのことに対して反対します。理由は今桜井前南相馬市長が述べたとおりです。津波で亡くなられた六百数十人に近い数の方が、原発事故の避難等の影響でお亡くなりになりました。さらに生活環境が変わり、ふるさとを失うつらさ、精神的心理的ダメージは、計り知れません。それが1番の理由です。また私が出馬会見をした日、東海第二原発の水戸地裁判決が出ました。この判決では緊急避難の計画が不備であることが、原発の再稼働の停止要件となったとこのことです。女川原発の緊急避難計画では、私が会見で指摘したように、在宅における虚弱者、また何よりも牡鹿病院、雄勝診療所、雄勝、牡鹿の特別擁護老人ホームの避難計画が、極めて不備です。このことにより女川原発の緊急避難計画は不備であり、女川原発は再稼働すべきではない、と考えます。私は女川原発の再稼働に反対します。命を守ること、石巻の行政の縦割りを変え、地域で暮らす人々の暮らしを立て直すこと、そして新型コロナ対策をきっちり行うこと、女川原発再稼働に反対すること、命を守り、暮らしを守る、医師長純一、そのことを柱に市長選を戦いますので、是非長純一のご支援をよろしくお願いします。
新型コロナ対策に全力! 石巻市長選挙出陣式演説文字起こし③
<新型コロナ対策に全力!>
私は医師であり行政経験をもつ。今その経験を石巻市が抱える課題、新型コロナ対策、まずこのことに全力で取り組みます。今石巻赤十字病院及び市立病院がコロナの感染症の診療を行っていますが、入院ベッドが逼迫し医療崩壊が近づいています。医療崩壊とは通常の診療ができなくなっているということです。今その状況がいつ起きてもおかしくありません。この状況を引き起こしたのは申し上げにくいことですが、医師の目からすればもっと早く蔓延防止、あるいは緊急事態等を適応すべきであった。このことの判断が遅れたこと、これはつまり行政の首長の判断の失敗だということは、圧倒的に強い県政の中でも指摘が行われるほどに明らかなことです。
医療崩壊を起こす。これは市民の皆さんの問題だけではありません。命がけでその現場を守っている医療、あるいは看護、介護、こういった人たちとの命を危険にさらしています。医療を守ること、介護の現場を守ること、市民の命を守ること、そのことが最も今求められていることだと私は思います。私はこの地域で地域包括ケアという医療の連携、介護との連携、地域全体のシステム作りに取り組んできました。また実は市立病院には、私を慕って8人の医師が集まりました。しかしその多くは、今残念ながら市立病院の現状に絶望して辞めていっていしまいました。しかし市立病院には、この石巻、登米、気仙沼医療圏で唯一の感染症の専門医がいます。赤十字にもいない感染症の専門医、それは私の友人、後輩です。また、石巻の地域包括ケアのアドバイザーを勤めた東北大学小坂健教授が、今、コロナ対策で国の委員をやる中で、連日のように宮城県のコロナウィルス対策の提言をしています。
こういった国の委員を務めアドバイザーを務めている公衆衛生の専門家と、自治体の診療ができる医師と、それを政策決定できる市長がいれば、日本で間違いなく最高のコロナ対策ができます。私が市長になり次第、そういった対策チームをすぐ作れる。これは今の石巻、あるいは日本で最も求められていることだと私は確信しています。コロナ対策日本一、あるいは世界一のコロナ対策を行う、そのために医療、介護、その現場を習熟する私長純一がこの石巻市長を目指し、それを応援していただく皆さんが石巻の命を救うのだと考え、ご支援いただければ幸いだと思います
地域包括ケアで石巻の復興!市長を目指すわけ 石巻市長選出陣式演説②
<地域包括ケアで石巻の復興!市長を目指すわけ>
私が唱えた地域包括ケアは、医療や介護を住宅政策や地域の暮らしと総合的に考えるという仕組みです。これは今でも石巻市の最重要政策に位置づけられています。石巻市は、「地域包括ケア」を掲げることで様々な復興予算を国から獲得してきています。私は、包括ケアセンター長という名前でそこに関わってきましたが、言い難いことではありますが、残念ながらその実情は通常のいわゆる縦割り行政となってしまっており、十分に皆さんの期待に応えられるものではなかったと考えています。住宅を作るところは住宅建設、管理をするところは住宅管理、被災者支援をするところは生活支援課、医療や福祉は福祉総務課・社会福祉協議会、被災者支援は生活再建課、そして私たちは地域包括ケア。この様に行政の縦割りの中で、住民の皆さんの望みや期待に応えることができなかった、あるいは一緒に取り組もうとすることができなかった、そういうケースがたくさんありました。先程山崎会長からお話を頂きましたが、私は自治的な機能、仮設住宅のときから頑張られた地域の代表である方々と連携することが大切だと考ています。行政のしくみ作りをしていく中でも、被災された当事者の方々に参加して頂くことが大切であると考え、石巻の地域包括ケアの推進に取り組んできました。しかし、最終的には首長・市長がどう判断するのか、市役所というものはそういった構造にあります。私は、多くのみなさんの意見、あるいは皆さんの状況をお伝えし、その改善をはかるための施策をたくさん提案してきましたが、そのほとんどは実現されなかった。10年たって、市長が変わる、市の目玉政策だった地域包括ケアも位置づけが変わっていくことが確実です。その中で私の仕事は終わったのかというふうに思いましたが、この度、今回このように市長選を目指すという決断をさせていただきました。(拍手) 私が思うところ・・・
~ふるさと(うさぎおいしかのやま、忘れがたきふるさと)~
<ふるさとで家で最期まで暮らせるように>
私は先ほどお話したようにふるさとを持ちません。みなさんは10年前、たくさんのものを失い、ふるさとを失った方々がほとんどだと思います。そのふるさとを、こののぞみ野を蛇田地区を第二のふるさととして最後まで暮らして頂きたい。そういった仕組みが地域包括ケアであり、私がもっぱら行ってきた在宅医療です。
私は先ほど、消滅する村落の方々の最後を支える仕事をしていたとお話ししました。そのことを、石巻でも実現していきます。在宅医療日本一ということを政策の中に入れていますが、長野で私がいた地域は、全国1700の自治体の中で日本一の在宅死を実現しています。最後まで住みなれた地域で暮らせる、そして最後を迎える命も輝かせる、そのような石巻を目指します。
石巻市長選出陣式演説① 文字起こしをアップします!

皆さん、こんにちは。
この度石巻市長選に立候補させて頂きました、前市立病院医師、前石巻市立健康部包括ケアセンター長、前雄勝診療所長、元開成仮診療所長の長純一です。今桜井前南相馬市長の応援をいただきましたように、私長純一、この10年間、被災された皆さんの命を守る活動と暮らしを守る支援を、微力ながら努めさせて頂きました。
私の想いを少しお聞きください。この10年間、私は皆さんからのリクエストがない限り、この歌を歌ってきました。
〜千の風になって〜
この歌は鎮魂歌です。多くの命を石巻では失いました。しかしその方々が、今も皆さんをそして石巻市を見守っていると、私は思います。またさらに命を守る、命を大事にする石巻を、こうして石巻のぞみ野の風となって、皆さんの命を暮らしを支え、応援しているものと信じております。
<10年前のあの日>
私は10年前のあの日3月11日(一括りに10年という言い方は好きではありませんが)、長野県の農村部の診療所で、平均年齢80歳15世帯の恐らく近い将来に無くなってしまう村の山の中の集落で、往診をしておりました。長野でも大きなゆれとともに家が傾きかけ、怖くて屋外へ出た恥ずかしい記憶があります。診療所に戻ると、仙台空港の飛行機が流されている、そのような映像を見ました。
4月に石巻長野県医療団長として石巻に医療支援に訪れ、日和山から眺めた光景は、今も忘れられません。私自身は、阪神大震災あるいは国際保健、途上国への支援等を行ってきたので、他の方に比べれば災害に対しての免疫はあったと思いますが、目の前に広がる光景は、その光景の中心に被災した旧市立病院があったわけですが、私の中でずっと残っています。
<ふるさと、日本の原風景を守りたい>
私は東京生まれで都会育ちです。ふるさとがない。そういった日本の田舎を守りたい、そう思い、ずっと人口の少ないほうに移動し、長野県の山の中で19年間、医療を通じ地域を守る活動を行ってきました。阪神大震災の時には、集会場や仮設住宅など、その後の震災支援のモデルとなった活動に参画しました。阪神大震災の被災地の診療所に来て欲しいという依頼を受けましたが、私はいわゆる「僻地」、社会的資源の少ない所の医師になりたいという志を実現するために長野に残り、先程お話ししたように長野の診療所で村の診療所長として活動してきました。在宅医療や地域包括ケア、あるいは農村地方問題を語る者として一応認識されていたと思います。そのような中で東北という医療が貧弱で、また非常に地域のつながりが強く、都会の目線での復興では大変な問題が起きる、ふるさと、あるいは絆といわれたような地域の繋がり、こういったことを意識した復興をしなければ今までの災害以上に箱物の復興になる、そのことを考え、私は4月医療団としてきた後に石巻の復興に関わりたい、そのように考えました。
<開成仮診療所のこと>
仮診療所という診療所を作って頂き、開成地区4800人の方の健康支援を行うことができたのは、現市長の判断でありました。赤十字病院に診療所を作るというお話しも開成頂きましたが、私は「市」の医療機関を作って欲しいということを希望しました。そして市立病院の仮の診療所として開成仮診療所を作って頂き、開成地区4800人の方の健康支援を行うことができました。「市」の診療所というのは、復興において、行政と連携し、政策的な活動を展開することが必須だと思っていたからです。コミュニティを失い、家族を失い、友人を失い、仕事を失い、生活面での様々な不自由、様々な喪失がある中で、医療、健康面を狭く捉えるのではなく、皆様の暮らしや希望を少しでも支援する復興政策をしなければならない。そのことは阪神でも感じましたが、東北という地方の持っている人々の繫り、こういったものを私は尊いものだと感じ、農村部に肩入れしてきた立場でそれを重視してきた復興に少しでも関わりたい、その想いで開成地区に診療所を作って頂きました。
4月18日 石巻市長選挙がはじまりました

第一声は、石巻市の3000人の被災者が移り住まれた防災集団移転団地のぞみ野地区であげさせていただきました。
私が、東京で生まれながら地方の持つ良さにあこがれ、農村を守る活動に長年従事してきたこと。
東日本大震災後の石巻の状況を見て、医療だけではなく地方を守らなければならない、いのちと暮らしを守る復興を目指さなければならないと強く感じたこと。
そのために、蓄積してきた政治や行政関係や社会活動などを活かし、復興政策に関わりたいと考えたこと。
それゆえ、日赤に誘われた際にも市医療機関を希望し、開成仮診療所を開設してもらったことをお話しました。
さらに総合診療・地域医療医を育成し、東北復興に寄与すること。
全国町村会長経由で復興庁事務次官とつながっていたこと。
阪神大震災での支援経験で実績があること。
それらを含め、地域包括ケアが市の最重要政策に至った理由と、今までの取り組みや立候補に至った理由など、少し長くなりましたがお話しました。
(過去の投稿でもっと具体的に書いていますので、ぜひ併せて読んでいただきたいです)
そして、いのちを守り、暮らしを守ることを市政の柱と考え、
- 市役所の被災者支援のいわゆる縦割りを改善する約束
- 新型コロナ対策
- 市立病院改革
そして - 女川原発再稼働は避難計画に大いに問題があり再稼働反対
という公約を述べました。
さらに、原発反対の先頭に立たれている桜井勝延前南相馬市長が応援に駆けつけてくださいました。南相馬の被災後の状況、特に福島第一原発水素爆発後から現在まで続く被害の悲惨さ。いのちを守る、それゆえに行政の最大の役割は、市民のいのちを守ることに尽きること。そのために女川原発を再稼働してはならない、という応援演説を頂きました。
これから一週間頑張ります。ご支援よろしくお願いいたします。
原発再稼働反対・前南相馬市長桜井氏応援

9日、友人の前南相馬市長の桜井勝延さんが、応援に来てくださいました。
以前よりお付き合いがあり、6年前には南相馬に呼んでいただき、復興の街づくりと地域包括ケアの講演をさせていただいたこともありました。
その際、車で一緒に南相馬市そして原発被害の様子を視察させていただいたことは今でも覚えています。 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の困難を経験し、6万7千人の南相馬市民の内、原発事故で5万人以上避難生活を余儀なくされ、その後関連死と認定された方だけで500人を超えるという事実。未だに全く先の見えない原発事故後のことを街頭演説していただきました。実に迫力のある演説でした。
震災と原発事故で学んだこととして、何よりもいのちを大事にすることの尊さと、その視点から女川原発再稼働は認めてはいけない!という強いメッセージを頂きました。 私も、いのちを守ることを最優先する立場から、現状の避難計画は極めて問題があり、特に病院・介護施設の夜間帯時に事故があった場合、見捨てざるを得なくなる可能性が高く、そのようなことは絶対に認められない、と出馬会見で話したように、避難計画の抜本的見直しがない女川原発再稼働は反対の立場を明らかにしています。
東日本大震災から学んだこと、いのちを守り育むこと、それに勝るものはない。
ブレずに長純一は進んでいきます。
医療の危機的状況に友人からのメッセージ

小坂教授、あまりTVに出たくはないとおっしゃっていますが、やはり医療の危機的状況に、的確な指摘をされています。
先日はお忙しい中2時間の講義を快く引き受けて頂きました。
大変充実した内容でした。
FBのプロフ写真に写る沖縄の高山先生を含め、ずっと石巻を支援してくれてきた親友です。
石巻市長選へ向けて②

今日も嬉しいことがありました。
重度視覚障害で盲導犬を利用されている方と、重度心身障害の方が、事務所にお越しになられました。
そのうえで、どんな人でも、障害を持っていても一人一人が尊重される石巻への期待と、応援の言葉を頂きました。
事務所をバリアフリーにしておいてよかった、作ってくださった方に感謝です。
共生をたやすく語ることがないよう、自戒しながら、今まで通り、どんないのちでも、そのいのちを輝きを支援していく、そういった街を目指して、皆さんとともに歩みます。